ここVoiceのページはHIV/AIDSに携わっている方々の声を紹介しています。
 普段は聞けないような事を聞いてみましょう!
 と、いうことで知らなかった想いや考えが垣間見れるかも??



☆プロフィール
松浦基夫さん(医師)
市立堺病院 腎代謝免疫内科部長

☆好きな言葉
“同情とは連帯を拒否したときに生まれる”
By 岡村昭彦(報道ジャーナリスト、世界の戦闘などを取材した人)
「南ベトナム戦争従軍記」という本の中にも記されている言葉

Q. どうしてこの病気にたずさわっているのか?
何でか言ったら生い立ちから語らなければならない・・・。
この病気にたずさわって12年。

Q. これをやめて他にしようとは思わなかったのか?
【12年前のエピソード】
カリニ肺炎の人が病院に突然来た。当時は市民病院にくる病気ではないと思っていたから、何も準備をしてなかった。
大騒動になった。例えば、血液が関係するため、すべて使い捨てなのか?採血は誰がするのか、など。
“誰かがやらないかん!”市民病院にでも来る時代になったのだから。その頃、JHCしかなかったので、そこに参加した。
当時は血友病の人が多かった。血友病関連の活動をしている方たちと仲良くなっていった。
血友病の方は主に小児科医が見ていた。インフォームドコンセントなど無く、むちゃくちゃだった。
例えば、HIVだということを告知せずに投薬がなされていたり、など。
どうしてよいかわからない血友病の人たちを○○さんが松浦先生の病院につれてきたのが、診療のはじまりだった。

10年前(1995年3月)に、白阪先生から突然電話が!
“HIVやってるのはおまえやと思った”と。

【中学生のころ】
高槻で中学にいっていた。そこは在日朝鮮人が多かった。在日朝鮮人のおかれている状況はとてもひどく、厳しい差別が存在した。
そういうことに、いい意味で敏感な教育がされている中学だった。差別ということに関してそれなりの教育を受けた。
以来、部落開放運動、ハンセン病などにかかわった。
病気によって差別されている人らとどう一緒に歩めるか・・というのがずっとテーマだった。
市民病院ではそういった機会がなかったところに1995年に白阪先生からの電話があったわけだ。

学生のころの松浦先生を白阪先生は知っていたから電話が来たのかも。

悲しみは共有しにくいが、差別に対する怒りは共有できる。
当時はとんでもない対応を受けた人も多く、ひどい状況だった。

もともとは、腎不全などが診療の中心。勤務している病院は臓器別に細分化しない方針だったので、内科ですべて、というかんじ。
病院は松浦先生がHIVに取り組むことに違和感を持たなかった。
(病院によっては、呼吸器?血液?どこで見る?などの押し付け合いもあった。)

腎不全⇒慢性化したものは治らない。死ぬまで透析をする必要があり、免疫力がさがっていく。治らなくても、治療はずっと必要。
今思えば、腎不全とHIVと似てる?
ただし、腎不全は症状がはっきりしているが。

腎不全の人で、透析はしたくないという人に対し、若い頃は説得していた。いやいやでも透析をしていた。
説得して透析をした人から、後々、あんたがせいと言ったから透析せざるをえなくなったと言われたりもした。

現在、腎不全の患者さんを診ていく上でのテーマは、治療によって、いかにHAPPYになっているかどうか
(治療自体がうまくいくかどうかというより)。
これはHIVと全く一緒。透析に対して、こう思いはじめたのは、HIVにかかわったからかも・・・。

医療は病気を治す仕事。
そういう意味では、何のためにしてるんやろ?治らん病気を見てるというのは・・・?なんでやろ?
軽く言えば、その人がHAPPYになるかどうか。データを良くすることが目的ではない。

HIVが他の病気と違うところは、距離感。関わり方が深い。病気以外の話もするし。他の診療ではそこまでしない。

Q. Followについてどう思いますか?
ネット世代ならでは、やね!
こういうグループの出現を待ち望んでいた。
昔のグループの時代はネットのない世代で、集まることが唯一のかかわりあい方だった。今はいろんなレベルでのつきあい方がある。
つまり、関わり合い方に選択肢がある!選択肢があるため、プライバシーの問題とかも解決されやすい。
だから、活動は続くに違いない!
しかし、インターネットはようしません、という人もおる!

Q. 陽性者に伝えたいことは何ですか?
そのままでいいんだよ。別にがんばらなくてもいいし。